東京の地理

 1. 下町(したまち)と山の手(やまのて) 

 

東京には、下町と山の手という言葉があります。古い言い方で、今ではあまり使われません。東京が今のように大きな都市になる前に、主に使われていた、東京のまちを二つの地域に分けるための言葉です。その名の通り、下町は低いところ、山の手は高いところです。下町と山の手の明確な境界はありませんが、今の東京の中心部の東側の土地が低いところを下町、西側の高台(たかだい)を山の手と呼んでいました。 

山の手は、高いところばかりではなく、高い場所と低い場所が入り組んでいます。新宿は高いところですが、その南の渋谷(しぶや)は新宿から下った低いところにあります。その名の通り、谷のような地形(ちけい)です。渋谷のスクランブル交差点も、西から下る道玄坂(どうげんざか)と、東から下る宮益坂(みやますざか)という二つの坂の下に位置しています。このような地形のため、東京には坂が多いのです。アニメ映画でもよく東京の坂が登場しますよね。

一方、下町は平らです。隅田川(すみだがわ)のような大きな川が流れていたり、海の近くだったりします。なぜ下町は平らなのでしょうか。実は、下町の多く土地は、7,000年前は海だったのです。海だったところが、今、なぜ陸地になっているのでしょうか。7,000年前の日本は縄文時代(じょうもんじだい)でした。当時、なぜ、海だったのか? それを調べるキーワードがあります。「縄文海進(じょうもんかいしん)」という言葉です。少し寄り道(よりみち)をして、そのなぞを調べてみましょう。

 

これは日本第四紀(だいよんき)学会という学会のウェブサイトで見つけました。科学者が書いた少し難しい日本語なので私が要約します。 

 

約7,000年前、日本の海面(かいめん)は今よりも2~3メートル高く、日本各地で 海水が陸地まで入り込んでいました。これを縄文海進と言います。その後、海面は現在の高さまで低くなり、 東京の下町などでは、川から運ばれた土砂(どしゃ)などがたまって平らな土地が形作られました。 

 

では、なぜ縄文海進は起こったのでしょうか。今から10,000年以上前、ヨーロッパや北アメリカ北部は、今の南極のように氷床(ひょうしょう)と言われる分厚い氷でおおわれていました。ところが、その後、地球は段々暖かくなりました。そして、今から7,000年前くらいには、巨大な氷のかたまりはほぼ完全にとけてしまいました。そのために海水の体積が増え、縄文海進と呼ばれる海面の上昇(じょうしょう)が起こりました。 

 

「わかった。その後、また、寒くなって、氷床(ひょうしょう)が拡大(かくだい)して、海面が現在の位置まで低くなったのだ。」と皆さん思うでしょう。ところが事実はそれほど単純ではないのです。なぜなら、その後、地球の氷床の拡大は起こっていないからです。 

 

ではなぜ、海面が下がったのでしょうか。氷床が溶け、海水が増えたことによる海水の重みで、海の底がゆっくりと沈みました。その結果、海の底のマントル(Mantle)が陸側に移動し、陸側がもり上がりました。海水面は変わらなかったのですが、陸がもり上がったために、海面が下がったかのようになりました。中々複雑ですね。 

 

また、7,000年前にどこでも海水面が上昇したかというと実はそうでもないのです。巨大な氷が解けたイギリスや北アメリカの海岸では、氷の重さがなくなり その重さで押し下げられていた陸地がもり上がりました。船が荷物を降ろして浮き上がるような感じでしょうか。その速度が、海水面の上昇よりも早かったので、海面の上昇は起こりませんでした。海水面の上昇は、氷床が解けたところからはなれたところでよく起こったようです。 

 

いやー、地球の内部は複雑です。そのころ、世界中で色々な気候変動があったはずです。今、地球温暖化(ちきゅうおんだんか)と言われていますが、7,000年前にも地球は温暖化して、様々なことが起こったようです。もしかしたら、これから地球に起こることの参考になるかもしれませんね。 

 

Q:皆さんの住んでいる国や地域で、7,000年くらい前の地球が暖かくなった時期に何が起こったのか調べてみましょう。

 

2.東京の下町と新都心 

 

下町は、昔、海だったので海も近く、大きな川も流れて平らな地形であることが分かりました。そのため、東京が江戸(えど)と呼ばれていた150年以上前、下町には大小の川や運河がたくさんありました。その川や運河を使い、船が行き来して、たくさんの荷物を運び、商業がさかんな地域でした。そして、その中心が日本橋(にほんばし)でした。日本橋は、日本各地に行く街道(かいどう)の出発点になっていました。今は橋の上に首都高速道路(しゅとこうそくどうろ)が通っています。 

 

この高速道路は1964年の東京オリンピックに間に合うように建設されました。その時、用地買収(ようちばいしゅう)の必要がない川の上に高速道路が建設されました。江戸時代にはほとんどの品物を船で運んでいましたが、現在は川の上や、運河を埋め立てたところに高速道路ができ、車で移動したり、物を運んだりするようになりました。今の日本橋は高速道路の下にかくれています。「日本を代表する日本橋がそれではさみしい」という声もあり、高速道路を地下に移動させ、日本橋を青空の下に戻す計画もあります。

日本橋の昔と今

 

下町を代表する川というと隅田川(すみだがわ)です。そばには東京スカイツリーが立っています。隅田川を挟んだ反対側は浅草(あさくさ)です。浅草寺(せんそうじ)という有名なお寺がある浅草は、門前町(もんぜんまち)として発展(はってん)し、昔は東京でも有数の繁華街(はんかがい)でした。そして、隅田川を下った、かつての海には、今、新しいまちができています。

 

戦後、東京は建設ラッシュで多くの建物ができました。その建設で残った土で東京湾は徐々(じょじょ)に埋め立てられて、そこに新都心と呼ばれるまちができました。東京の都心と新都心を結ぶ橋がレインボーブリッジです。海辺にある新都心には、フジテレビというテレビ局の本社もあり、また、多くの商業施設(しょうぎょうしせつ)などがあります。周りには高層マンションが立ち並んでいます。新しくできた新都市から浅草まで、隅田川を通り、水上バスで行くことができます。天気の良い日は気持ちが良いです。一度、乗ってみてください。 

3.東京の郊外 

 

下町の繁華街は浅草でしたが、戦後(第2次世界大戦の後)、浅草に代わり新宿や渋谷、池袋(いけぶくろ)という山の手にあるまちが繁華街として発展しました。なぜ、これらのまちが大きくなり、発展したのでしょうか。 

 

戦後、東京の都心部に大きなビルがたくさんたち、経済が発展しました。そこで働く人たちは、新宿、渋谷、池袋から伸びる鉄道の近くに住むようになりました。そのため、鉄道のターミナルである3つのまちは、戦後大きく発展したのです。東京の場合は、下町は海側に発展し、山の手は鉄道が何本も通る西の方向に発展しました。 

 

東京の西部から埼玉県(さいたまけん)まで含めて続く高台を武蔵野台地(むさしのだいち)と言います。映画「となりのトトロ」の舞台もこの近くで、昔は自然の豊かな場所でした。武蔵野台地は、平らな下町と違って、高いところや低いところがあって、古い時代に川によって運ばれた土や富士山(ふじさん)の噴火(ふんか)による火山灰(かざんばい)などで地層が作られています。平らで水が豊富な下町と違い、この地域は地盤(じばん)が安定し、水害(すいがい)も少ないですが、お米を作るのには適していません。水田はあまりなく、畑と雑木林(ぞうきばやし)という林が多い地域でした。トトロが住んでいるような森と言えばわかりやすいかもしれません。そのような畑や林だったところに、どんどん家が建てられ、住宅街(じゅうたくがい)に代わっていきました。まちは発展しましたが、自然は失われました。 

 

Q:皆さんの国で大都市は、どのように移り変わり発展したか調べてみましょう。また、発展の代わりに失ったものは何かも考えてみましょう。 

 

昔、武蔵野台地では、生活や農業のための水を得ることが重要な問題でした。しかし、水に困らない場所もありました。それは湧き水(わきみず)が出ている場所です。その代表的な場所が、井の頭公園(いのかしらこうえん)、善福寺公園(ぜんぷくじこうえん)、石神井公園(しゃくじいこうえん)という3つの場所です。今は3つの公園とも東京都の公園になっています。住宅が増え、湧き水は枯れたり、水の量が少なくなったりしてしまいましたが、今でも池があり、武蔵野の昔のすがたを残しています。

これらの公園には、憩い(いこい)を求めて多くの人が集りますが、多くの水鳥も集まります。水鳥の中で、私が好きなのはカワセミという小さな鳥です。体がオレンジで羽が青く、渓流(けいりゅう)の宝石と言われるくらいきれいな鳥です。この鳥がこの3つの公園に住んでいて、池の人気者になっています。そのほかにもサギやカモなど、たくさんの野生の鳥が住んでいます。私は見たことがありませんが、オオタカやコハクチョウも見ることができるようです。機会があれば見てみたいです。

この3つの公園には昔の武蔵野の自然が残っていて、四季が感じることができる貴重(きちょう)な場所になっています。

石神井公園

 

とてもすてきなところです。皆さんもぜひ行ってみてください。もしかしたら、トトロに会えるかもしれませんよ。 

井の頭公園と善福寺公園

  文 ・ 写真:岡野秀夫 (2021.3.27)