首里城(しゅりじょう)

首里城(しゅりじょう)は、琉球王朝の城として有名です。昔、この地を治めていた尚氏(しょうし)が、住んでいたところです。その美しい姿は、みんなの誇り(ほこり)でした。 この城がいつ作られたのか、はっきりしたことはわかっていません。たぶん、14世紀末ごろだと考えられています。 沖縄の人たちにとって、首里城の存在は、単に歴史的な建物というだけではなく、もっと大切なものです。 

これまで、たくさんの困難がありました。火事も多く、1453年、1709年、1945年にはすべて焼けました。原因は戦いや過失、そして、第二次世界大戦の沖縄戦でした。けれども、その度(たび)に、首里城は再び建てられました。  特に、1986年に行われた復元は、大きなものでした。  首里城は、昔は「美しい赤い城」と、呼ばれていました。研究者や技術者は首里城を元の姿に戻すために、努力を続けたのです。 1992年、とうとう復元が完成したとき、沖縄の人たちの喜びは、想像を超えたものとなりました。 

 

2000年には主要国のトップが集まる会議が行われました。同じ年に、世界的に重要な意味を持つと認められ、首里城はますます注目されるようになりました。観光客にも人気があり、1年間で300万人近くが来るといいます。 まさに、沖縄を代表する建物になったと言えるでしょう。 

ところが・・・。

ひどい事件が起こりました。


2019年10月31日の夜明け、火事が起こったのです。 運が悪いことに、風が強い日でした。建物は焼け続け、首里城の建物は、ほぼすべて焼けてしまいました。 火を消すための活動が続けられましたが、朝になっても消えません。完全に消えたのは、13時30分でした。

 

偶然、その夜、私は那覇のホテルに泊まっていました。明け方、のどがかわいて目が覚めました。前の晩の夕飯に、塩辛い「大島ずし」を食べ過ぎたのでしょう。冷蔵庫からお茶を出し、飲んだ後、なんとなく部屋のテレビをつけました。そこには不思議なものが映っていました。

骨格だけになった建物が、真っ赤なほのおに包まれ、くずれ落ちていきました。寝ぼけていたので、「古い戦争映画かな」と思いつつ、すぐにベッドに戻り、寝てしまいました。火事を知らせる警報音も聞こえませんでした。まさか首里城が燃えているなどとは、想像しなかったのです。


数時間後、夜が明けました。朝ご飯を食べるため、外に出ると、たくさんの人が忙しそうに歩いています。見慣れた光景です。 通路の真ん中で、新聞の号外(ごうがい)が配られていました。号外は、特別な場合だけ、無料で出されるものです。 「なんだろう」と、不思議に思いました。

号外には、第1面に、大きな活字で「首里城正殿全焼(しゅりじょうせいでんぜんしょう)」と、書いてありました。 昨夜、テレビで見たばかりの写真もありました。真っ赤なほのおに包まれ、骨組みだけになった首里城です。その時、「あっ」と、思いました。 私が観たテレビの画面は、映画やテレビドラマではなかったのです。あれは、ニュースだったのです。それも現在形で伝えられていたのです。

号外の新聞をにぎりながら、「これは大変なことになった」と、思いました。その日は、首里城でお祭りが行われる予定でした。沖縄の人たちはもちろんのこと、観光客も、楽しみにしていました。それなのに、祭りの日の当日、彼らは燃える首里城を見ながら朝を迎え、白煙があがる現場を見たのです。 こんなことがあってよいのでしょうか?沖縄の人たちの悲しみが伝わってきます。

けれども、安心してください。首里城が再び元に戻るように、たくさんの人が努力しています。 いつの日かきっと、完全に元に戻った美しい首里城が、私たちの目の前に、その姿を現してくれることでしょう。

 Q:首里城が焼失した(火事で焼けてしまった)ことについて、どう感じましたか?また、皆さんが住んでいるところで大切にされている建物などについて教えてください。 

文:三浦暁子 写真:三浦暁子他 (2021.2.24)